Mのこと

1月初めに高校時代の友人Mくんがなくなった。海外勤務先での突然死だったので、そのまま現地で火葬されて骨となって帰国した。非常に親しかった友人の死というのは私にとってははじめてのことで、衝撃の大きさに、ただとまどっていた。 そのMくんの四十九日の法要が上野の寛永寺で執り行われた。ご両親のご厚意により、ご親族以外に友人たちも出席できるようにしていただけたため、私も参加した。

Mくんは、ご両親の海外勤務に伴って小さいころから外国暮らしをしていたので、英語が達者だっただけでなく、人柄も非常に「アメリカ人みたい」だった。押し出しが強くて弁舌に長け、そして、どんなひとに対しても公正で優しくて、まさにリーダーの素質にあふれていた。 高校時代には部活やら文系・理系やらクラスやらを超えて友人をつなげる架け橋的な存在だった。そして、Mくんの家には何かにかこつけてはいろんなメンツがいりびたり、Mくんのお母さんの手料理をごちそうになった。


40歳台のひとが死んだとき、葬儀に集まる「故人の友人」というのは、勤め先と大学時代の関係者が多いのだが、今回は、Mくんと小学校・中学を共にすごした人たちが一番たくさん集まっていた。そのほか私たち高校の同窓生もたくさん集まっており、Mくんの職場のかたがたが相当びっくりされていた。


四十九日法要・納骨の儀のあと、お寺の近くの中華料理店にて、同窓生が主催する「お別れの会」が開かれ、ご両親も出席してくださった。「しんみりするよりは、Mと一緒にわいわいしてたときみたいにしよう!」と懐かしい写真や、いろいろなエピソード紹介がされて、かなりもりあがった。そして、会も後半にさしかったころ、Mくんの元上司であるSさんからのスピーチがあった。 さすが関西人!というか、まずは「あいつがどんだけ失礼なやつかというと...」というネタふりでもって会場を大爆笑させてはじまったそのスピーチは、やがて、職業人としてMくんをどんなふうに育ててきたか、という話になった。

こいつは"出来る男"だと思ったからこそ、難しい課題を与えて、大変厳しく接してきた。しかし、彼は、それをなにもかもやってのけた。私の夢は、『Mを育てたのは、Sさんでしたか!』とみんなから言われることだった。彼のことを自慢したかった。でも、それができなくなってしまって、私はいま、本当にくやしいんです


Sさんが手で顔を覆うようにしながら自分の席に戻ろうとしたとき、それまでわたしたちの暴露話をニコニコ聞いてらしたMくんのお父様が、立ち上がって深々とSさんに頭を下げられた。法要がはじまったときからずっとおだやかな表情をされ、いかにも大学の先生らしく私たちにフレンドリーに接してくださってたこのお父様が、涙声でSさんにお礼を述べられてる姿を見ながら、ああ、やっぱりお父様もひとりの「お父さん」なんだなあと、ぼんやりそうおもった。


お別れ会の途中、現地での葬儀の写真をみせてもらった。そこには白い棺があって、そのなかにMが横たわっているのだという。M、君は本当にその中にいたのか。君は本当に本当に死んだのか。